店長ブログ

特殊相対性理論♪♪

2021/03/22 19:33|コメント:0件

何気なく駅前のスタバに入りました。いつもの通り、アイスコーヒーのトールサイズを頼みました。「345円になります」指定された金額を払うために、1000円札を取り出そうと思い、ふと小銭入れを覗くと相当枚数の硬貨が入っている。おや、これは探せばピッタリ払えるかもしれないと思い、ジャラジャラと小銭をかき分けて、ついに100円玉3枚と10円玉4枚を見つけました。あと5円玉が…、あれ?ない。5円玉ないか。あ、でも1円玉が、あ、1円玉が5枚ありました。あれ?なんで1円玉、5枚もあるんだろう。まあ、いいか。丁度払えたし、ピッタリ払えてなんだか気分が良かったです。店員はすでに準備を終えていたアイスコーヒーを差し出してきました。こちらがジャラジャラとやっている間にサッといれたのでしょうか。スタバのアイスコーヒーはいつも準備が早いです。「お待たせ致しましたアイスコーヒーのトールサイズで御座います。」オマタセ☆イタシマシタ...?何かがおかしいです。記憶が正しければ、私はアイスコーヒーを受け取るまでに1秒たりとも「待って」はいないです。むしろ待っていたのは僅差で先にアイスコーヒーの準備を終えてしまった相手の方です。しかし相手の店員は時間をとってしまい申し訳ないとばかりに「オマタセ☆イタシマシタ」を唱えました。そして許して下さいとばかりにペコリと頭を下げています。
 改めて彼の顔を見つめると、表情からして、私が20秒ほどジャラジャラしている間に、彼は4分ほどの時間を過ごしていたようです。「4分ほど待たせてしまい、すみません」そんな顔をしている。そんなトーンでのオマタセ☆イタシマシタ。一方の私は20秒しか過ごしていないです。まさしく特殊相対性理論です(笑)。

夜中のラーメン♪♪

2021/03/20 16:30|コメント:0件

夜になると無性にラーメンが食べたくなります。多少なりとも腹が出てきている現状を勘案すると、夜にラーメンはよくないはずです。ラーメンが食べたい自分と、ラーメンを食べてはいけない自分。異なる2つの自分に挟まれ、そんなある日、黒ウーロン茶に出会いました。黒ウーロン茶は、脂肪の吸収を抑える作用があるらしいく、これをこのように解釈しました。「黒ウーロン茶を飲めば、大丈夫」黒ウーロン茶さえ飲めば脂肪は吸収されない。つまり太ることはない、と。
 その日以来、夜はラーメンを食いまくり、黒ウーロン茶を一気飲みして寝るようになりました。ラーメンのもたらす満腹感と、黒ウーロン茶のもたらす安心感に包まれて飛び込むベッドは、最高です。
 だが、幸せは長く続かないものです。数カ月が経ち、確実に以前よりも存在感を増した「腹」を見て、黒ウーロン茶との関係を見直す必要があるのではないかと感じました。黒ウーロン茶が、期待に沿うような結果を残せていない。前評判ほどの実力がない。そんな気がしてならないです。いや、もしかすると、太ってしまったのは純粋に「黒ウーロン茶を飲む量が足りなかった」だけかもしれない。そうだ。ラーメン一杯につき黒ウーロン茶一本では、足りなかった、ただそれだけのこと。そうに違いない。そう思うようにしました。脂肪の吸収を抑えるべくもっと気合いを入れて、毎日、黒ウーロン茶を7リットル飲めば大丈夫だったのに僕がそれを怠った。7リットル飲めば大丈夫。大丈夫なんだ、と。
 すがるような思いで黒ウーロンを信じるものの、どこか違和感が残ります。冷静に考えて、ラーメンを食べた後に毎晩ウーロン茶を7リットル飲むやつの、どこが「大丈夫」なのでしょうか。7リットル。黒とか黒じゃないとか、そういう問題ではないです。
 ついに大丈夫すらも大丈夫ではなくなった世界で、それでも今日も夜が訪れ、そして今夜も例にもれず、無性にラーメンが食べたくなってくるのでしょう。
 夜がラーメンを呼んだのか、はたまた、ラーメンが夜を呼んだのか(笑)
 

怒らないでね♪♪

2021/03/19 20:14|コメント:0件

元来、私は自分のことを「温厚な人」だと思っている。実際、マジの殴り合いの喧嘩なんて一度もしたことがないし、近しい友人からも比較的温厚だと思われているような気がします。
 主張が食い違って口論になったとしても、ごめんなさいで済むものは容赦なく「ごめんなさい」をブッ放すし、その際に自分の信じる正しさを相手に知らしめたいという気持ちなんて一切ないです。人との摩擦というか険悪な空気というか、とにかく、あれが死ぬ程苦手なのです。
 さて、こんな風に自称温厚の自分であるが、ときどきブチ切れることがあります。何に対して切れるのかと言うと、他人の「怒る」という行為に対してです。
 怒ることによって醸成される空気が嫌い過ぎて、いつからか自分の中に「怒る人 = 悪」というシンプルな図式が出来上がっていたのであります。怒るやつや短気なやつは、問答無用でダメ。絶対にダメ。怒らずに伝えることや、怒らず相手を動かすことが出来ないから、人間は怒るのであり、怒るとはつまり、まざまざと自らの無能を露呈しているに過ぎないと考えているからです。
 こうして怒るという行為自体が嫌い過ぎるが故に、怒る人の怒るという行為に対して容赦なく怒る性質を身につけてしまいました。いつまでも相手が怒っている。やたらと怒っている。怒ることにより空気が悪くなってる。絶対ダメ。でも相手は怒っている。だからブチ切れる。テメェはいつまで怒ってんだおいゴルウああああ!!!!怒りがしつこいんだよボケ!!!このようなキレ方を、専門用語でなんと言うか、皆さんはご存知でしょうか? 「逆ギレ」です。逆ギレ大先生と呼んで頂きたい(笑)。

偉人の格言♪♪

2021/03/17 16:49|コメント:0件

突然ですが、偉人の力は凄いです。全ての状況を一撃で打破出来る言葉の重みが凡人のそれとは全く違います。偉人の格言を借りればほとんどの状況を粉砕出来ることに気付きました。
 例えば、ケツ毛が濃いことにコンプレックスを持っている人もい多いと思います。見知らぬ人に対してケツの穴を広げて見せつけることに、精神的な抵抗があるはずです。普通の人であればサッと見せるところを、どうしてもモジモジしてしまう。自分のケツ毛で相手をビックリさせてしまわないだろうか。自分のケツ毛に、ウンコが絡まってはいないだろうか。自分のケツ毛に絡まったウンコに、ケツ毛が絡まってはいないだろうか‥など。
 しかし、ケツ毛を見て、なんだあいつ気持ち悪ぃジャングルじゃねえか、とナジってくるような輩にはこいつをお見舞いしましょう。
 「山は樹を以て茂り 国は人を以て盛なり」by 吉田松陰
 どうでしょう。もはや意味すらも分からないかもしれませんが、ケツ毛が汚くてジャングルみたいだということを指摘してきただけの人は、「しかし、山がそのような樹木によって茂るのと同じように、国というのは人によって豊かになっていくのである。」という主張を聞いて、目ん玉を引ん剝いて卒倒するでしょう。目線の高さが全く違うのです。
 これらの考察から分かることは、全ての弱点は適切な偉人達の名言を引用することでいとも容易く攻略することが可能であるということです。地球には無数の名言が溢れ返っており、それを自分勝手に引用すれば良いのです。
 「貴様は常識がなってない」と上司に怒られたのであれば、速やかに言うと良いでしょう。
 「常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。」
by アインシュタイン
 また、いくつになっても結婚しない人を諭すには、こちらの言葉を送りましょう。
 「とにかく結婚したまえ。良妻を持てば幸福になれるし、悪妻を持てば哲学者になれる。」by ソクラテス
 昇進試験で手も足も出ない難問が出題され、解答が全く分からず、上司に怒られた時には上司にこう言いましょう。
 「知らざるを知らずとなす。これ知るなり」(知らないことを知らないと自覚する。それが本当の知るということだ。)by 孔子
 そして、ここまで読んで、いやお前は偉人の言葉を借りてテキトウなことを言ってるだけじゃねえか、お前の言葉には重みがねえし、何を言ってるかワケ分かんねえんだよ!!と言ってる方には、こちらの言葉を贈ります。
 「ロックの歌詞は聞き取れなくて良い」by カートコバーン 

歩きスマホ♪♪

2021/03/16 20:30|コメント:0件

歩きスマホが社会問題になっていますよね。しかし、私は怒りよりもおどろきのほうが大きいです。何におどろくかといえば、世界への圧倒的信頼感におどろくのです。私はあそこまで周囲のすべてを信頼できないっです。
 とくにすごいのは、スマホの画面を凝視しながら歩きつつ、さらにヘッドホンで耳まで覆っている人間で、たまにそんな人間がこちらにずんずん直進してくるのですが、ありゃ何でしょう? パラレルワールドに迷いこんだ? 別の世界線のできごと?
 人間の目や耳は、周囲を警戒するために付いています。それを遮断したまま大量の人間がいる空間を歩きまわるのは肝が座っています。街中には色々と変な人間もいると思うのですが、そんなに周囲を信頼できるのでしょうか。
 漫画『スラムダンク』の一場面を思い出します。山王戦終盤、三井は体力の限界をむかえ、それでも必死でプレイを続ける。三井はブランクが長いため、ひんぱんに体力の限界をむかえるのだ。それを見て客席のだれかが言ったセリフ。
 「やつはいま、あかんぼのように味方を信頼することで、なんとか支えられている……」
 すなわち、歩きスマホの人間は、あかんぼのように周囲を信頼することで、なんとか歩きスマホを維持している。歩きスマホの人間を支えているのは、自分が突っ込んでいけば他人はかならずよけてくれるという信頼、自分に危害を加えるような通行人は絶対に一人もいないという信頼、気づかず車道に出ていても車のほうでしっかり停止してくれるという信頼……。
 あかんぼのように周囲を信頼することで歩きスマホをなんとか維持する人間のリアリティのなさ。そんなやついるのでしょうか。しかし歩きスマホには周囲への無自覚な信頼感が必要なのは事実です。自分が歩けば海だって割れるという確信。歩きスマホの人間は自意識がモーゼ。なんか、どんどんかっこよく思えてきました(笑)