店長ブログ

レフェリーのユニフォーム♪♪

2021/05/07 20:38|コメント:0件

スポーツの試合で、レフリー(レフェリー)や審判が、白黒ストライプのユニフォームを着ているのを見たことがあると思います。もちろんそうじゃないスポーツもありますが、白黒ストライプの服を見かけたら審判かなと思うくらいには浸透しています。その起源はアメリカの1人の審判にあるようです。
 アメリカでは昔、審判たちは白いドレスシャツにスラックス、黒い蝶ネクタイ、白のベレー風の帽子といったきちんとしたいでたちで試合に臨んでいました。こうしたユニフォームは審判を権威ある存在に見せるが、テンポの速いゲームにおいて、選手と区別がつかないことも多く、白いユニフォームを着用していたチームの選手が混乱する場合がありました。東ミシガン大学(EMU)の学生だったロイド・W・オールズは、1914年に高校バスケットボールの試合を審判していたとき、この問題に直面しました。
 1920年、オールズは地域のフットボールの試合の審判を始めました。ここでも、白いユニフォームのクォーターバックが試合中にオールズに向かって誤まってボールをパスしてきたため、彼はついに服装を変更する決心をしました。
 オールズは、ミシガン州アナーバーにあるスポーツ店のオーナ、ジョージ・モーと協力して、選手のユニフォームと色が被ることがなく、尚且つ選手との違いがはっきりわかる白黒の縦縞模様のニットシャツを考案し、1921年に初めて自分で着用しました。最初は不評で、ファンがスタンドからヤジを飛ばしたそうです。しかし、このアイデアはバスケットボール界でもフットボール界でも採用され、流行り出したのです。
 オールズは、東ミシガン大学でスポーツレジェンドのような存在になり、25年もの間、大学のトラック競技やクロスカントリーチームのコーチをし、1932年と1936年には、アメリカのオリンピックチームのトラック競技のアシスタントコーチも務めました。しかし、彼の最大の功績は間違いなく、100年以上もの間、審判が選手と間違われないようにするための服装改革だと思います。審判の白黒ストライプ柄のユニフォームは、現在もアメリカで、フットボール、バスケットボール、ホッケー、ラクロス、レスリングなど多くの競技で採用されています。ちなみに日本のバスケットボール界では、1980年代までは白黒のストライプシャツにグレーのスラックスでしたが、現在はグレーのシャツに黒のスラックスになっています。