店長ブログ

デニーズ・ラブ♪♪

2021/01/26 12:18|コメント:0件

実は私、デニーズが好きです。いつ行っても、あっけらかんとした照明と無愛想な店員が淡々と注文を聞きにきてくれます。ファミレスの中でも人気がないので、静かな店内に、ぽつぽつと一人客だけがいるだけというのもいいです。
 客たちもパソコンを持ち込んで黙々と作業をしているか、テーブルに顔を伏せて熟睡しており、人間を辞めているような人も多いです。
 メニューを開くと、デザートの欄にあった桃のパルフェと書いてあります。「そのルは何だ、そのルは!」と、さすがにクオリティーが低すぎます。メニューには明らかにパフェの写真が掲載されており、どう見てもパフェの形をしているくせに、パルフェを名乗るとは何のつもりだ?
 そこで手元のスマホでサクッと検索。ウィキペディアに情報が載っていました。フランス語だと parfait (パルフェ)というらしいです。パフェのほうは英語の発音から。こうして、ルの謎はあっさりと解決しました。クオリティー低いなんて言ってすいません(笑)

おっさんは文化♪♪

2021/01/25 12:04|コメント:0件

気づけば四十歳を過ぎ、同世代の男は少しずつ自分をおっさんと称しはじめました。しかし、私にはどうもおっさんとしての自覚が生まれないのです。ほとんど人に会わない生活をしていることも大きいのでしょう。ひとりでいると年齢感覚がアップデートされないため、なんとなく自意識は二十代で止まったままになっています。
 ただ先日、ふらっと立ち寄った天下一品でラーメンとギョーザを食べながら店内に置かれていたプレイボーイの水着グラビアを眺めていたとき、「いや俺おっさんじゃん」と衝撃を受けました。自分の状況を俯瞰して、「こいつ完全におっさんみたいなことしてんな」と。何の言い訳もきかない姿でした。
 その意味で、「おっさん」というのは非常に文化的な様式だと言えると思います。いかにもおっさんめいた言動が人々のイメージとして共有されており、自覚的にせよ無自覚にせよ、そのイメージをなぞったときに人はおっさんとなるのではないでしょうか。そして、天下一品でラーメンとギョーザを食べながら週刊誌のグラビアを眺めるというのは、まさに文化的に登録されたおっさんらしさの典型と思います。
 これをフィギュアスケートのような競技としてみるならば、天下一品でラーメンを食べることで点数が加算され、さらにギョーザを頼んだことで加点、店に置かれたプレイボーイを手に取ったことで加点、若い女の水着グラビアを見たことで加点、といったところでしょうか。審査員がピッピッピと点数を入力していく光景が目に浮かびます。
ただ、注文時に「ラーメンはこってり? あっさり?」ときかれて、「あっさり」と即答したのですが、あれ、減点されてたと思います。おっさんなら、こってりでしょう。審査員も舌打ちしたでしょうね。萎えるような凡ミスだし。
 

初恋の記憶はパピプペポ♪♪

2021/01/24 11:58|コメント:0件

だいぶ昔になりますが、成人式に出席したとき、「未来の自分に宛てた手紙」を読む機会がありました。完全に忘れていたのですが、小学生のころ、「二十歳になった自分に手紙を書こう」という企画があり、担任の教師がしっかりと保管していたらしく、その場で生徒のひとりひとりに渡していきました。みんな興奮していました。それは喜びによる興奮というよりも、うぎゃあやめろ的興奮です。大人になってから小学生の自分が書いた手紙を読まされるなど罰ゲームに等しいです。
 覚悟をきめて封筒を見ると「はたちマンのぼくへ」と書かれていました。それだけで心が折れそうになりました。まさか宛名の時点でスベってるとは思わないから。十年の時をへて、宛名でスベる。
 仕方なく内容を読むと、面白さ以前に、十年後の自分に読まれることを想定できていない文章でした。「いまでもPさんのことが好きですか?」という一文がありました。当時の自分が好きだった女子を想定して書いているようだが、まったく心当たりがないのです。それにPというのは、イニシャルトークでありえないアルファベットです。これじゃあ、パピ田パピ子みたいな名前になってしまします。
 うっすら思い出したのは、当時、「たとえ未来の自分が相手でも、好きな女子の名前を書くのは恥ずかしい」という葛藤があったことでした。だからイニシャルで表記しようとした。しかし、「いや、アルファベットで書くのも恥ずかしい」という自意識もあり、結果、イニシャルも変えてPにした。アホかと思います。未来の自分にまで好きな女子を隠すな。そのせいで、十年後のおまえはパピ子みたいな女を想像している。おまえのくだらない自意識のせいで、初恋の記憶がパピプペポだ。
 よく冷えた初恋だこと。

漫画喫茶♪♪

2021/01/23 12:22|コメント:0件

マンガ喫茶でバイトしていたことがあるのですがあの仕事はよかったです。すばらしく暇で、何をするでもなく一人でカウンターに立っていることが多かったです。「労働」と「ぼんやり」の境界線が溶けてゆくのを感じました。
 想像がつくと思いますが、マンガ喫茶では、客は受付をすますと、みんな勝手にマンガを読みはじめ、もはや店員は必要ないのです。食事を頼むときくらい。それに食事といっても、私の働いていた店は冷凍ピラフや冷凍チャーハン、それに冷凍のタコ焼きを出すだけなので、どれもレンジでチンするだけです。
 店のマニュアルには、「レンジのチンの音は絶対に鳴らさないようにしろ」と書いてありました。客に聞こえるとイメージがよくないからでしょう。客だって、バックヤードで三つ星シェフがチャーハン炒めてくれてるとは思ってないだろうが、それでも向こうから「チン!」という音がきこえて、そのあと店員がチャーハンを持ってくれば、色々と考えてしまうでしょう。
 だから、あたため完了の残り数秒、正確にはレンジの数字が「1」になった時点で、すばやく扉をあけるきまりでした。たまに他の作業が忙しく、音が鳴ってしまうと、ミス扱いとなりすこしだけ場がピリッとしていました。
 あの頃は、とにかく掃除ばかりさせられていました。店長はバイトをボーッとさせたくないんだが、やらせるにも仕事がないのです。だから「掃除」という半永久的にできる作業が生まれ、店に店長がいるときはバイト全員、潔癖症のようにひたすら掃除をしていました。床を拭き、空いている個室を掃除し、マンガを包んでいるビニールを拭き、トイレを掃除し、バックヤードも掃除し……。
 もっとも、店長がゆるいところだとバイトは平気でサボッていました。一時期、客として通っていたマンガ喫茶があったのですが、あの店はひどかったです。受付のバイトが若い男女二人なのだが、その二人が、まったくバイトらしさを漂わせていないのです。接客業特有のうそくささ、作り込まれた元気のよさがなく、むきだしの男と女として、カウンターに立っていたのです。
 男のほうが店のシステムを説明するが、女はただ隣に立っているだけで、笑顔もなにもなく、気だるそうにしていました。二人の背後には薄暗い事務室が見え、こいつらあの部屋でヤッてんじゃないか、という雰囲気すらありました。
 すこし前に調べたら、その店は潰れていて、そりゃそうだろ、と思いました(笑)

昭和の酔っぱらい♪♪

2021/01/22 11:57|コメント:1件

先日、大阪の十三(じゅうそう)に行ったときのこと。
 駅前を歩いていたときに典型的な酔っぱらいサラリーマンを見かけて、すごく良かったです。私は典型的なものを見るとテンションが上がってしまうたちだから、典型的な酔っぱらいなんかも大好物なのであります。
 二人組の中年サラリーマンがなかよく肩を組んで、歌を歌いながら、千鳥足で歩いていました。これは思わず年号を確認したくなる事態でしょう。昭和か?
 歌っている曲は、アリスの『遠くで汽笛を聞きながら』。サビの「なにもいいことがなかった」という部分を、大きく声を張りあげて、すべての音程を外しながら歌っていました。選曲も最高だし、歌詞も最高だし、まったく歌えてないところも最高。こうした情景を見られただけでも、わざわざ十三まで出てきた甲斐がありました。
 だから帰りの電車でも、「あんな典型的な酔っぱらいがいるなんて! 本当にいるなんて! あれはもはや酔っぱらいという概念じゃないか!」と興奮していたのですが、十分ほど過ぎた頃には、「頭にネクタイ巻いててほしかったな」と思ってしまいました。頭にネクタイを巻いた状態で歌っていたら、文句なしの百点でした。昭和の酔っぱらいとして完璧です。あれだけ典型的に酔っぱらっていながら、なぜ、ネクタイを巻いていなかったのか。
しかし、それは強欲というもの。見知らぬ乗客たちに囲まれながら、私はみずからの強欲をひとりで恥じていました。あれだけのものを見ておきながら、おまえはネクタイまで求めるのかと(笑)